2015年9月26日土曜日

集が個

「集が個」

ふと浮かんだ言葉について書いてみる



集が個で、個は個ではない

あくまでも集が個である考えは侵されながらの最中でのカオス理論のようなもの

だから愛が生まれる

のではないかなあって思うこと



あくまでも個は自由であり
個が個を管理することはカオス理論に当てはまらず

それは命を犯すようなもの


嫌な思いを感じるって事は個が個に与えてるんじゃなく お互いの集の配列が違うのかなあ なんて考えたりする

だから互いに主張すればいいだけで
批判や否定をする必要はないかなと

ただ
集が個である考え
それは永遠につづく時間と共生し続ける命を大切にすること

そう思うから



それを大切にしない行為をして楽しむ者は

集をもたない個

それは個でもなく欠片でなく固まり

固まりは罪を犯し 集をもち個となる


虚しいけど命はそれでも繋がり進む事を求めてる

そして個となった責任をもち集にならなければと思ったりもする

いつかの誰かのために

「集が個」

ふと浮かんだ言葉について書いてみたら

化石になる喜びに繋がった








2015年9月22日火曜日

いしころアルバム/芸術家 地球の作品展

DesignFactoryISHICOLONY


もともと僕らは石ころで集まったんだ名前のようにね

それは何か語らいのかわりの様なものだったのかもしれない

阿吽で並ぶ狛犬のような感じかな?

分けわからない言葉と大袈裟な感覚だけれども大切にしてることなんだ



石ころって面白いし、地球ってすごいな

今回あらためて石ころ眺めながらアルバム作ってて、そう思った



こんな色んな形や色の組合せがあっても、どれも嫌な感じはしないってとこと

それは子供達の絵と似ているとこがあるね


地球って感情むき出しだしさ
笑ってる穏やかな時もあれば、怒り激しく暴れる時もある


悲しみもあたえるけど、安らぎや感動もあたえてくれる

まるで芸術家だよね


隠し事っていうか、まずルールが無いんだよ


石ころってさ


なんだかそんな芸術家の地球さんが落としてくれた手紙の様な感じもするんだ


って言うのはね

地球って僕らより遥かに速いスピードで未来に行ってる様に思うんだ
その分いろんな先のこと見てるの



その地球さんがさ 「ほら、この手紙を君のためにここに置いとくよ」って落としてくの


君って言うのは誰かわかんないよ


だってさ 前にやったことあるんだけど10人くらいでの素敵な石ころ探しを海でね

同じ範囲を歩いて探してるんだよ

でもさ皆それぞれ違うんだよ拾った素敵な石ころが

そこまでは当たり前なんだけど

後でさ皆で見せ合いしたらね 他の人が拾った石ころに「それ何処で見つけたの!?」なんて言っちゃったりしてさ、それで「あそこだよ」って教えてもらうとさ

「え〜!!そこ歩いたのに探したのに!」って凄く残念がってたりするの

たぶんそれは その石ころは君じゃない君への手紙だったんだろうね


そんな感じ



不思議じゃない?なんだか



それでいて僕は素敵だと思うんだ


もしもさ

さっきの芸術家の地球さんと子供達が同じって仮説

その仮説に沢山の人たちが共感してくれたとするじゃない?

そしたらさ芸術家の地球さんと同じスピードで小さな巨匠さんは未来に行ってるのかもしれないね

そして芸術家の地球さんは僕らに石ころで誰だか分からない君に手紙を


そして小さな巨匠さんは絵で誰だか分からない君に手紙を


落っことしてくれてるのかも知れないね


そんな風に思うから僕は

ISHICOLONYchibicolonyを作ったんだ











2015年9月5日土曜日

たまには たららららとブログらしく独り言 小さな釣堀的仮想世界



SNSっていう釣り堀的仮想世界(あくまでも個人的な感覚)

その中でもFacebookのニュースフィードは良く読んでるんだけど




随分とテレビの政治NEWSによって その釣堀的仮想世界の水が濁ってくるんだよね




感覚的には昔さ 竹中直人さんの「笑いながら怒る人」っていう芸みたいな感じに見えちゃったりしてる

プロフィール画像はニコニコでポイポイ吐き捨てるみたいな




でもね 政治その他の不満や意見って この釣堀的仮装世界に投げ込んでも餌にはならないんじゃないって思うんだよね



どうして餌にならないかって言うと 


現実世界に居るような嫌われ者っていないじゃないSNSに?



居たとしてもさ それは瞬間的なことで 


友達解除で居なくなっちゃう訳だから

結局は何も害がない人や同調する人ばかりの小さな釣堀的仮想世界がたくさん出来るだけで

現実世界への害を軽減するために設けられた釣堀のような気がするんだよね





チャゲ&飛鳥の歌の歌詞で「殴りに行こうか」ってあったでしょ?

あれが現実世界の感情でさ 顔を合わせに行くってことで そこには暴力もあったり 怒りや恐怖があったり 息が止まるくらい笑い合ったりがあったり 叫びがあったりさ


この「あったり」が「分かち合い」に変わってさ結ばれて行くんだよね

そして 些細な事でも 何かが変わる


もちろん もちろん
Facebookの全部が全部ではないのは前提の話しね


あんど もちろん 

その活動の呼びかけ集客のためにSNSを使って現実世界で行動するんだって事もあるだろうし それについて否定もしないわけだけど


主となる誰かがさ
巧妙なパフォーマンスで 日ごろ釣堀的仮想世界の人気者になり その考えに賛成 賛成ってことになって 現実世界に5万人集まっちゃって 殴りに行っています


って事になったとするじゃない?

でもその中の何割が 何の為に殴っているのかの目的を知っているんだろう

って そう思うんだよね


不思議でたまらない


だってそんな影響力があるなら どうしてその前の選挙投票率は上がらないの?


あ〜 話しが脱線したかな。。。

親指は疲れない ってこと(文字うつの僕は親指だけだから)

だから真面目さも語れるし、意見だって長々言い返したり


現実世界は疲れるんだよ 一歩踏み出すのだって大変だよね

だからいいんだよ


自分のために疲れる


あいつのために疲れる

それだけのリスクを覚悟で行動する訳だからさ

目的を知らずに殴りに行く事なんて そうそう無いし


それでも殴りに行くなら 本気で殴りにいくよね


自分や あいつのためにさ


釣堀的仮想世界はその あいま あいまの 休憩所的であって欲しいかなあ

楽しいし 便利だしね








そうそう どうせ政治や企業に意見があって釣堀的仮想世界に書き込むなら


コッチの方が全然いいと思うよ 同じ労力と時間かけるなら